熊本城 2016(熊本県熊本市中央区)
2016年4月の震災被害から、東京オリンピック開催までの天守閣修復が進む熊本城。2016年、被災4カ月後のありのままの姿と共に、ご案内します。
KEY WORD: 熊本城、高梁公園緑地、長塀、天守、加藤神社
マップ <熊本城>
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「熊本城」は、熊本市中央区にあります。

JR熊本駅前からは、熊本市電「熊本城・市役所前」電停下車、あるいは、熊本市バス「熊本城周遊バス(しろめぐりん)」で約18分 運賃130円(8:30~17:00運行)です。
中世に「千葉城」、「隈本城」が築かれ、安土桃山時代末期から江戸時代初期にかけて「加藤清正」が改築・増築し、現在のような姿の熊本城を築きました。かつて、天守閣前広場には、加藤清正のお手植えと伝わっているオオイチョウがあり、別名「銀杏城」と呼ばれています。加藤氏改易後の江戸時代の大半は、熊本藩細川家の居城でした。
熊本城の広さは約98ヘクタール(約98万平方メートル)、周囲は約5.3キロ。南東を流れる白川を外堀に見立て、これに合流していた坪井川・井芹川を切り離して内堀としているため、城内にある水堀は飯田丸の西にある「備前堀」1つのみです。
加藤清正は、特に石垣造りを得意とし、熊本城では、始め緩やかな勾配のものが上部に行くにしたがって垂直に近くなり、武士はもちろん、身軽な忍者でさえも、引き返してしまうことから「武者返し」と呼ばれる形状の石垣を多用しています。この石垣は、加藤清正が近江国(おうみのくに)から連れてきた「穴太(あのう)衆」と呼ばれる石工(いしく)集団がつくったといわれています。熊本市役所前の石垣は、長さとしては日本最長です。
ただ、この石垣が本領を発揮するのは、明治に入ってからとなります。
1877年(明治10年)に勃発した「西南戦争」で、熊本城は、政府軍の重要拠点であると同時に西郷軍の重要攻略目標となります。
尚、西南戦争の直前に大小天守や御殿など本丸の建築群が焼失し、現在の天守は1960年の再建です。
政府軍と西郷軍の間には、「田原坂(たばるざか)の戦い」を含む激しい攻防が行われましたが、熊本城は司令官「谷干城(たにたてき)」の指揮の下、4000人の籠城で、西郷軍14000人の攻撃に耐え、ついに撃退に成功します。
この戦いでは「武者返し」が大いに役立ち、熊本城を甘く見ていた西郷軍は、誰一人として城内に侵入することができなかったといいます。
「おいどんは官軍に負けたとじゃなか。清正公に負けたとでごわす」と、西郷が嘆いたというエピソードが伝わっています。
太平洋戦争では、市街地の2割を焼失した熊本大空襲など度々空襲に襲われるも、奇跡的に焼失を免れています。
そして、2016年4月、「熊本地震」が発生。現存石垣をはじめ、宇土櫓などの文化財建造物、大小天守などの復元・復興建築物が被災しました。
ただ、ここで留意しておきたいのは、震災で被災した建造物のうち、築城当時のものは、「宇土櫓」や「東竹之丸の櫓群」と「石垣」のみです。
大小天守と一部の櫓は、昭和時代中期に外観復元されたもの、櫓や御殿などのは木構造で復元されたものです。
それでは、熊本城を囲むように流れる坪井川沿い、「千葉城橋」と「厩橋(うまやばし)」の間に位置する「高橋公園」から、熊本城観光を始めましょう。
高橋公園には、西南戦争当時、政府軍の司令長官として、少数の兵とともに熊本城に52日間籠城し、薩軍を退けた「谷干城の銅像」と、熊本出身の思想家・横井小楠を中心にした5人(左から。坂本龍馬・勝海舟・横井小楠・松平春嶽・細川護久)の銅像「維新の群像」が立っています。


ここを起点に、時計回り方向に進みます。
厩橋から坪井川沿いに続く「長塀」と石垣。「長塀」は、全長約242メートル。築城当時のまま、現存しています。

「馬具櫓」


登城門のひとつ「櫨方(はぜかた)門」への道、立入禁止。


左手に見えるのが「備前堀」です。
この先は、観光施設「桜の馬場 城彩苑」を抜けて二の丸駐車場へ向かいます。
尚、「城彩苑」には、熊本名物・特産品の飲食店や土産店23店舗が並ぶ「桜の小路」や歴史文化体験施設「湧々座」(入館料300円)等があり、熊本城観光のバスターミナルにもなっています。
二の丸駐車場の入口付近から、奉行丸の「未申櫓(ひつじさるやぐら)」が見えます。平成15年に木造で復元されたものです。


「二の丸広場」からの熊本城入口、立入禁止。

「二の丸広場」から見る天守。

天守は、連結式望楼型で、右より「大天守(3重6階地下1階)、『一の天守』とも呼ばれる」、「小天守(3重4階地下1階)、『二の天守』とも呼ばれる」、「宇土櫓(うとやぐら)(3重5階地下1階)、『三の天守』とも呼ばれる」。
築城当時から現存しているのは「宇土櫓」のみで、国の重要文化財に指定されています。「大天守」「小天守」ともに、西南戦争2日前の火災で焼失し、1960年(昭和35年)に再建されたものです。
二の丸広場を北へ向かいます。



「戌亥櫓(いぬいやぐら)」。城の西北端に位置します。

元の櫓は、明治初期に石垣ごと取り崩され、戌亥櫓も破却されています。現在の櫓は、平成15年に「未申櫓(ひつじさるやぐら)」と一緒に木造で復元されたものです。


加藤清正公を主祭神とする「加藤神社」の境内から見ると、地震後の熊本城天守の様子がよく分かります。


手前の平左衛門丸石垣や大小天守の屋根瓦の一部が崩落、鯱(しゃちほこ)も失われています。


加藤神社からは坂道を下り、二の丸の反対側に出ます。城の裏側に当たります。
坂になっているせいか、この辺りの石垣の損傷は激しいです。


崩れた石の整理が始まっており、ひとつひとつに番号が付されていました。
道路を挟んで、「熊本伝統工芸館」があり、その裏手には、剣豪「宮本武蔵屋敷跡」があります。
この先、坂を下りきると、スタート地点近くの「厩橋」に戻ります。
以上、震災後、約4か月後の熊本城の様子でした。
震災や津波、火災で、多くの建造物を失って来た、わが国です。
でも、その度に、再建築し、復興を繰り返してきました。
その度に、建築技術を進歩させてきました。その蓄積が、匠の技術として受け継がれています。
文化庁の試算では、石垣の撤去や積み直しなどの作業に伴って、1平方メートル当たり150万円かかると見込んおり、総修復費用に約354億円を要するとした試算を明らかにしました。この報告は石垣のみです。
熊本市の大西一史市長は2016年7月26日、天守閣の修復を3年、東京オリンピック開催までに終える目標を発表しました。
また同時に、全体の修復を20年で終える目標を明らかにしています。
現在、天守には工事用の足場が組まれ、工事用シートで覆われています。
今、大手ゼネコンをはじめ、地元の石工業者など、日本の匠の技を結集した修復工事が急ピッチで進んでいます。
(掲載写真撮影日: 2016年8月28日)
<2017年熊本市内のおススメ宿>じゃらん口コミ評価4.3以上。
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※この宿の詳細情報は、別記事<ホテル日航熊本>をご覧ください。
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●湧泉の宿 藻乃花 1泊朝夕食付き14,500円~
※この宿の詳細情報は、別記事<湧泉の宿 藻の花>をご覧ください。
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KEY WORD: 熊本城、高梁公園緑地、長塀、天守、加藤神社
マップ <熊本城>
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「熊本城」は、熊本市中央区にあります。

JR熊本駅前からは、熊本市電「熊本城・市役所前」電停下車、あるいは、熊本市バス「熊本城周遊バス(しろめぐりん)」で約18分 運賃130円(8:30~17:00運行)です。
中世に「千葉城」、「隈本城」が築かれ、安土桃山時代末期から江戸時代初期にかけて「加藤清正」が改築・増築し、現在のような姿の熊本城を築きました。かつて、天守閣前広場には、加藤清正のお手植えと伝わっているオオイチョウがあり、別名「銀杏城」と呼ばれています。加藤氏改易後の江戸時代の大半は、熊本藩細川家の居城でした。
熊本城の広さは約98ヘクタール(約98万平方メートル)、周囲は約5.3キロ。南東を流れる白川を外堀に見立て、これに合流していた坪井川・井芹川を切り離して内堀としているため、城内にある水堀は飯田丸の西にある「備前堀」1つのみです。
加藤清正は、特に石垣造りを得意とし、熊本城では、始め緩やかな勾配のものが上部に行くにしたがって垂直に近くなり、武士はもちろん、身軽な忍者でさえも、引き返してしまうことから「武者返し」と呼ばれる形状の石垣を多用しています。この石垣は、加藤清正が近江国(おうみのくに)から連れてきた「穴太(あのう)衆」と呼ばれる石工(いしく)集団がつくったといわれています。熊本市役所前の石垣は、長さとしては日本最長です。
ただ、この石垣が本領を発揮するのは、明治に入ってからとなります。
1877年(明治10年)に勃発した「西南戦争」で、熊本城は、政府軍の重要拠点であると同時に西郷軍の重要攻略目標となります。
尚、西南戦争の直前に大小天守や御殿など本丸の建築群が焼失し、現在の天守は1960年の再建です。
政府軍と西郷軍の間には、「田原坂(たばるざか)の戦い」を含む激しい攻防が行われましたが、熊本城は司令官「谷干城(たにたてき)」の指揮の下、4000人の籠城で、西郷軍14000人の攻撃に耐え、ついに撃退に成功します。
この戦いでは「武者返し」が大いに役立ち、熊本城を甘く見ていた西郷軍は、誰一人として城内に侵入することができなかったといいます。
「おいどんは官軍に負けたとじゃなか。清正公に負けたとでごわす」と、西郷が嘆いたというエピソードが伝わっています。
太平洋戦争では、市街地の2割を焼失した熊本大空襲など度々空襲に襲われるも、奇跡的に焼失を免れています。
そして、2016年4月、「熊本地震」が発生。現存石垣をはじめ、宇土櫓などの文化財建造物、大小天守などの復元・復興建築物が被災しました。
ただ、ここで留意しておきたいのは、震災で被災した建造物のうち、築城当時のものは、「宇土櫓」や「東竹之丸の櫓群」と「石垣」のみです。
大小天守と一部の櫓は、昭和時代中期に外観復元されたもの、櫓や御殿などのは木構造で復元されたものです。
それでは、熊本城を囲むように流れる坪井川沿い、「千葉城橋」と「厩橋(うまやばし)」の間に位置する「高橋公園」から、熊本城観光を始めましょう。
高橋公園には、西南戦争当時、政府軍の司令長官として、少数の兵とともに熊本城に52日間籠城し、薩軍を退けた「谷干城の銅像」と、熊本出身の思想家・横井小楠を中心にした5人(左から。坂本龍馬・勝海舟・横井小楠・松平春嶽・細川護久)の銅像「維新の群像」が立っています。


ここを起点に、時計回り方向に進みます。
厩橋から坪井川沿いに続く「長塀」と石垣。「長塀」は、全長約242メートル。築城当時のまま、現存しています。

「馬具櫓」


登城門のひとつ「櫨方(はぜかた)門」への道、立入禁止。


左手に見えるのが「備前堀」です。
この先は、観光施設「桜の馬場 城彩苑」を抜けて二の丸駐車場へ向かいます。
尚、「城彩苑」には、熊本名物・特産品の飲食店や土産店23店舗が並ぶ「桜の小路」や歴史文化体験施設「湧々座」(入館料300円)等があり、熊本城観光のバスターミナルにもなっています。
二の丸駐車場の入口付近から、奉行丸の「未申櫓(ひつじさるやぐら)」が見えます。平成15年に木造で復元されたものです。


「二の丸広場」からの熊本城入口、立入禁止。

「二の丸広場」から見る天守。

天守は、連結式望楼型で、右より「大天守(3重6階地下1階)、『一の天守』とも呼ばれる」、「小天守(3重4階地下1階)、『二の天守』とも呼ばれる」、「宇土櫓(うとやぐら)(3重5階地下1階)、『三の天守』とも呼ばれる」。
築城当時から現存しているのは「宇土櫓」のみで、国の重要文化財に指定されています。「大天守」「小天守」ともに、西南戦争2日前の火災で焼失し、1960年(昭和35年)に再建されたものです。
二の丸広場を北へ向かいます。



「戌亥櫓(いぬいやぐら)」。城の西北端に位置します。

元の櫓は、明治初期に石垣ごと取り崩され、戌亥櫓も破却されています。現在の櫓は、平成15年に「未申櫓(ひつじさるやぐら)」と一緒に木造で復元されたものです。


加藤清正公を主祭神とする「加藤神社」の境内から見ると、地震後の熊本城天守の様子がよく分かります。


手前の平左衛門丸石垣や大小天守の屋根瓦の一部が崩落、鯱(しゃちほこ)も失われています。


加藤神社からは坂道を下り、二の丸の反対側に出ます。城の裏側に当たります。
坂になっているせいか、この辺りの石垣の損傷は激しいです。


崩れた石の整理が始まっており、ひとつひとつに番号が付されていました。
道路を挟んで、「熊本伝統工芸館」があり、その裏手には、剣豪「宮本武蔵屋敷跡」があります。
この先、坂を下りきると、スタート地点近くの「厩橋」に戻ります。
以上、震災後、約4か月後の熊本城の様子でした。
震災や津波、火災で、多くの建造物を失って来た、わが国です。
でも、その度に、再建築し、復興を繰り返してきました。
その度に、建築技術を進歩させてきました。その蓄積が、匠の技術として受け継がれています。
文化庁の試算では、石垣の撤去や積み直しなどの作業に伴って、1平方メートル当たり150万円かかると見込んおり、総修復費用に約354億円を要するとした試算を明らかにしました。この報告は石垣のみです。
熊本市の大西一史市長は2016年7月26日、天守閣の修復を3年、東京オリンピック開催までに終える目標を発表しました。
また同時に、全体の修復を20年で終える目標を明らかにしています。
現在、天守には工事用の足場が組まれ、工事用シートで覆われています。
今、大手ゼネコンをはじめ、地元の石工業者など、日本の匠の技を結集した修復工事が急ピッチで進んでいます。
(掲載写真撮影日: 2016年8月28日)
<2017年熊本市内のおススメ宿>じゃらん口コミ評価4.3以上。
※表示の宿泊料金は、平日2名一室利用時の一人当り最安税抜価格です。
●天然温泉 六花の湯 ドーミーイン熊本 1泊朝食のみ付き 6,199円~
●ホテル日航熊本 1泊朝食のみ付き 7,824円~
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