石見銀山の歴史と世界遺産への道(島根県大田市大森町)

「石見銀山遺跡とその文化的景観」の遺構が、21世紀の世界に伝えた事とは。
KEY WORD: 石見銀山、石見銀山世界遺産センター、大森町並み地区、大森代官所跡、銀山地区、龍源寺間歩
マップ <石見銀山
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2007年(平成19年)、「石見(いわみ)銀山」はユネスコ世界遺産(文化遺産)に登録されました。
石見銀山は、島根県大田市の山中の大森地区あります。
戦国時代後期から江戸時代前期にかけて最盛期を迎えた日本最大の銀山(現在は閉山)です。最盛期に日本は、世界の銀の約3分の1を産出したとも推定されていますが、石見銀山産出の銀がそのかなりの部分を占めたとされています。

▼「石見銀山」へのアクセスと見学ルート
車利用の場合、山陰自動車道出雲ICより、国道9号を利用。大田市の市街地から島根県道46号(大田桜江線)に入り、石見銀山世界遺産センター駐車場へ。出雲ICより、42.2キロ、所要時間約55分です。石見銀山中心部への車の侵入が規制されているため、車利用の場合は、まず、世界遺産センター駐車場へ行きます。
公共交通機関利用の場合、JR山陰本線、出雲市駅から大田市駅まで普通列車で約40分。大田市駅より石見交通バス(世界遺産センター方面)に乗車。 世界遺産センターバス停まで所要時間33分、運賃は片道730円です。
石見銀山世界遺産センター駐車場

石見銀山観光は、大きく3つに分類されます。「石見銀山世界遺産センター」、「大森町並み地区」、「銀山地区」です。世界遺産センターと町並み地区、銀山地区をじっくり散策するのには、だいたい半日(4時間)必要となります。

石見銀山世界遺産センター」には、石見銀山見学ガイダンス(案内)棟のほか、有料施設として4つの展示室があり、銀山の歴史や、山のくらしと技術、銀山の調査・研究、文化的景観などを多くの展示物やパネル、ジオラマ等で展示・解説しています。
石見銀山世界遺産センター
開館時間は9時~17時30分。展示室観覧時間は9時30分~17時。(3月~11月は30分延長)。有料展示室観覧料は、300円。外国人は200円です。展示室の観覧所要時間の目安は30分です。
ドライブ途中での立ち寄り観光や、時間が無い場合は、この世界遺産センターのみの見学になってしまいます。

「大森町並み地区」、「銀山地区」へは、世界遺産センター前のバス停「石見銀山駐車場バス停」から路線バスを利用し、大森バス停まで行く必要があります。
バスは、まず、大森バス停に停車します。「大森町並み地区」と「銀山地区」の境目にあたり、石見銀山公園や観光案内所があります。次にバスは大森代官所跡バス停(終点)に停車します。「大森町並み地区」の入口にあたり、石見銀山資料館(大森代官所跡)があります。

大森町並み地区」は、1970年代まで廃屋が建ち並んでいた地区を地元実業家らが整備した地区です。石見銀山の政治経済の中心地だったところで、武家や商家、社寺仏閣など様々な建物が混在しているのが特徴です。町並み地区は約800メートルで、徒歩20分ほどです。
大森町並み地区

銀山地区」は、かつて銀生産の中心地でした。およそ1,000近い間歩(坑道)の跡が点在し、往時の繁栄ぶりをしのばせます。
常時一般公開している唯一の坑道跡である「龍源寺間歩(まぶ)」へは、大森バス停近くの石見銀山公園から、約2.3キロ。徒歩で片道45分ほど掛かります。
歩きだけで往復1時間半かかり、坑道内見学を含めると所要時間2時間です。





▼石見銀山の歴史
石見銀山の発見は、鎌倉時代末期の1309年(延慶2年)に周防(現在の山口県)の大内弘幸が銀を発見したと伝えられています。本格的な銀山開発は、室町時代に入ってからで、1526年(大永6年)には、銀峯山の中腹で地下の銀を掘り始めました。

1533年(天文2年)には、海外から技術者を招き、鉛を使った銀精錬技術である「灰吹(はいふき)法」を導入し、効率的に銀を得られるようになります。ただ、この灰吹法の普及に伴い、酸化鉛の粉塵を吸い込んだ作業員は鉛中毒を発症するようになり、鉱夫は30歳まで生きるのさえ難しいという短命であり、鉱夫たちの家族構成は、その多くが独身もしくは夫婦のみであったと伝えられています。
大森地内には若くして死んだ鉱夫たちの慰霊を目的として各宗派の寺院が多数建てられています。銀山で亡くなった人々の霊と先祖の霊を供養するために、1764年(明和元年)に月海浄印によって創建された「羅漢寺五百羅漢」は、世界遺産「石見銀山遺跡とその文化的景観」の一部として登録されています。
銀鉱石の採掘鉱夫は、経営者である山師に契約雇用されていました。鉱山労働者の保護施策として、鉱山病で生活ができない者に対する米の支給や、保養薬としての味噌の支給、その子どもに対する養育米の支給などの策が施されていました。特殊な労働環境の下での施策でしたが、その後の社会保障制度の先駆けと言えるものでもありました。

石見銀山は、江戸時代前期には、日本の膨大な銀需要を支え、銅も産出しました。
当初は、太田の港から船で搬出されていましたが、大森から尾道まで中国山地を越え、瀬戸内海へ至る陸路の「銀山街道」が整備され、尾道から京都伏見の「銀座」へ輸送するようになりました。
大森町にある熊谷家は、幕府に上納するための年貢銀の秤量・検査を行う掛屋として任命され、現在、この「熊谷家住宅」は国指定重要文化財に指定され、一般公開されています。

石見銀山における銀生産は、1620〜1640年代頃を最盛期として、その後は減少に向かいます。また、坑道が深くなるのに従って作業困難となり、出水対策などで投資がかさみ採算が悪化し、徐々に銅の生産が増加するようになってきます。
しかし、第一次世界大戦後の銅価格の下落と安価な輸入銅の影響により、1923年には休山に追い込まれました。

▼世界遺産登録への決め手とは
日本政府は「東西文明交流に影響を与え、自然と調和した文化的景観を形作っている、世界に類を見ない鉱山である」として、2006年1月にユネスコ世界遺産委員会に推薦書を提出しました。
しかし、2007年5月、ユネスコの諮問機関である国際記念物遺跡会議(ICOMOS、イコス)が、遺跡の「顕著な普遍的価値」の証明が不十分であることを理由に「石見銀山は登録延期が適当」と勧告してきました。日本政府や地元は「世界遺産への登録は極めて厳しい」と判断しました。

それでも、ユネスコの日本政府代表部は、石見銀山の特徴である「山を崩したり森林を伐採したりせず、狭い坑道を掘り進んで採掘するという、環境に配慮した生産方式」を積極的に紹介し、巻き返しのための外交活動を展開しました。
銀の製錬及び精錬過程においては、大量の木炭を必要とします。木炭を作るためには、森林を伐採せねばなりません。石見銀山周辺では、伐採した森に積極的に植林を進めてきました。また、江戸時代には、幕府により、木炭の原料の樹木については伐採場所が政策的に管理されていました。日本の湿潤で温暖な気候にも恵まれて、これらの樹木は再生を繰り返し、森林資源が枯渇することはなかったのです。
石見銀山における鉱山技術と生産方法は、日本の自然環境の中で、人力に依拠した小規模開発に支えられたものでした。しかも、それは環境負荷の少ない循環型の生産方法でもありました。こうした鉱山開発の在り方は、大規模な畜力・動力を用いた労働節約型生産形態の西欧型鉱山開発とは対照的だったのです。

結果、「21世紀が必要としている環境への配慮」がすでにこの場所で行われていたことが委員の反響を呼び、2007年6月28日、世界遺産委員会の審議により、世界遺産(文化遺産)としての登録が満場一致で決定されました。
日本の世界遺産登録としては14件目であり、文化遺産としては11件目、産業遺産としてはアジア初の登録となったのです。

(訪問日: 2015年11月12日)





<2017年石見銀山周辺のおススメ宿>じゃらん口コミ評価4.4以上。
※表示の宿泊料金は、平日2名一室利用時の一人当り最安税抜価格です。
●旅の宿 輝雲荘 1泊朝夕食付き 11,000円~
●のがわや旅館 1泊朝夕食付き 10,175円
●1日2組限定 ちいさなお宿 泉弘坊 1泊朝夕食付き 11,000円~
●四季の杜 ゲストハウス (ゴールデンユートピアおおち内) 1泊朝夕食付き 8,781円
●石見銀山の宿 ゆずりは 1泊朝夕食付き 12,888円~
●旅館ますや 1泊朝夕食付き 9,000円~



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